trippieceで行くカンボジアの旅 〜3日目 ラピュタの舞台を訪れて〜
8月19日(月)
今日は昨日の朝日のアンコールワット見学とは打って変わって午前中フリー。
ゆっくり朝食をとり、文化村なるところに行って来ました。
●文化村

宿泊しているホテルから徒歩約10分。トゥクトゥクのお兄さんのお誘いを搔い潜りやって来ました。

初日の夜に見た舞踊の蝋人形等々。

こちらは「幸福家族」とのことですが、幸福とは。

前衛的なオブジェもあり不思議な感じでした。

こちらはカンボジアのお化け屋敷。雑笑
入り口でお姉さんが悲鳴を上げたり、びっくりさせようとしてきたのが微笑ましかったです。
アメリカ村だったり、カンボジアの各民族だったり、テーマ毎に村があります。
がしかし、基本的にショーを見るところのようで、午前中は悉く時間外。
村に着いた瞬間にスタッフが焦って動き出す事も多々。

そんな中ここ(ファームビレッジ)は人も住んでおり、生活感満載でした。

お土産屋さんでは「イミテーションの中でも一番いいイミテーション」が笑
●ベンメリア
平和な午前を過ごし、ラピュタの舞台(?)ベンメリアへ。
(舞台じゃないって話もちらほら)
昨日のアンコールワット、トム等の遺跡群からはかなり離れていて、バスで約1時間半。




石切り場に近い場所にあり、アンコールワットの試用に作られたとの話も。
アンコールワットは緯度、暦等の関係であるべくして今の場所にあるとのことでした。
こちらは世界遺産にも登録されておらず、ベトナム軍の爆撃で崩れた部分も多々。
代わりに奥深くまで探検でき、写真もいっぱい撮れたというわけです。
●焼き肉・鍋
晩ご飯は焼き肉、鍋!

中心部ではベーコンのような豚肉、牛肉を焼き、周りのお堀部分では野菜を煮ます。
これがとてもおいしい!
お肉にバターを乗せると一層美味です。

そして偶然見れたナイトレインボー。
滅多に見れないとのこと。
今日もよき1日でした〜
●戦争と文化
本日巡ったベンメリア遺跡。
バスで通れるような遺跡への道が拓かれ、入場料をとる場所が整備されたのはここ10年の出来事のようです。
そのちょっと前には遺跡周辺は森に覆われ、地雷もたくさんあったとのこと。
覆われた森の中の1本道を通り、ご老人が遺跡を案内してくれていたと。

赤い柱が立っているところから地雷が発見されました。
きっと戦争がなかったら、他にも有名な遺跡がたくさんある中ベンメリアなんて注目されなかっただろうし、(本当に発想元になっているなら)ラピュタも違ったものになっていたのかもしれません。
お金がかかるようになったのも何やそれって感じですが、管理者があっての修復なり維持なりでしょう。
戦争という手段は悲しいし、商売は時に冷たい印象も受けますが、そういうものから生まれた文化、技術、仕組みの上で生かされているということもこういうときにふと思い返してみます。
今日は昨日の朝日のアンコールワット見学とは打って変わって午前中フリー。
ゆっくり朝食をとり、文化村なるところに行って来ました。
●文化村

宿泊しているホテルから徒歩約10分。トゥクトゥクのお兄さんのお誘いを搔い潜りやって来ました。

初日の夜に見た舞踊の蝋人形等々。

こちらは「幸福家族」とのことですが、幸福とは。

前衛的なオブジェもあり不思議な感じでした。

こちらはカンボジアのお化け屋敷。雑笑
入り口でお姉さんが悲鳴を上げたり、びっくりさせようとしてきたのが微笑ましかったです。
アメリカ村だったり、カンボジアの各民族だったり、テーマ毎に村があります。
がしかし、基本的にショーを見るところのようで、午前中は悉く時間外。
村に着いた瞬間にスタッフが焦って動き出す事も多々。

そんな中ここ(ファームビレッジ)は人も住んでおり、生活感満載でした。

お土産屋さんでは「イミテーションの中でも一番いいイミテーション」が笑
●ベンメリア
平和な午前を過ごし、ラピュタの舞台(?)ベンメリアへ。
(舞台じゃないって話もちらほら)
昨日のアンコールワット、トム等の遺跡群からはかなり離れていて、バスで約1時間半。




石切り場に近い場所にあり、アンコールワットの試用に作られたとの話も。
アンコールワットは緯度、暦等の関係であるべくして今の場所にあるとのことでした。
こちらは世界遺産にも登録されておらず、ベトナム軍の爆撃で崩れた部分も多々。
代わりに奥深くまで探検でき、写真もいっぱい撮れたというわけです。
●焼き肉・鍋
晩ご飯は焼き肉、鍋!

中心部ではベーコンのような豚肉、牛肉を焼き、周りのお堀部分では野菜を煮ます。
これがとてもおいしい!
お肉にバターを乗せると一層美味です。

そして偶然見れたナイトレインボー。
滅多に見れないとのこと。
今日もよき1日でした〜
●戦争と文化
本日巡ったベンメリア遺跡。
バスで通れるような遺跡への道が拓かれ、入場料をとる場所が整備されたのはここ10年の出来事のようです。
そのちょっと前には遺跡周辺は森に覆われ、地雷もたくさんあったとのこと。
覆われた森の中の1本道を通り、ご老人が遺跡を案内してくれていたと。

赤い柱が立っているところから地雷が発見されました。
きっと戦争がなかったら、他にも有名な遺跡がたくさんある中ベンメリアなんて注目されなかっただろうし、(本当に発想元になっているなら)ラピュタも違ったものになっていたのかもしれません。
お金がかかるようになったのも何やそれって感じですが、管理者があっての修復なり維持なりでしょう。
戦争という手段は悲しいし、商売は時に冷たい印象も受けますが、そういうものから生まれた文化、技術、仕組みの上で生かされているということもこういうときにふと思い返してみます。
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