3月21日(水)
『マーガレット・サッチャー 鉄の女の涙』を観に行って来ました。

ネタバレとか気にしないので、それで都合の悪い方は見ないでください。
あと、けっこうこの話が事実だと思って書きます。
事実として書かれていることですら、それが事実であるかは疑わしいですよね。
書く人の主観で取捨選択された事実のようなものが、その人の伝えたい文脈で配置されています。
映画だと一層製作者の意図を色濃いんでしょう。
だから、この映画で描かれた「マーガレット・サッチャー」がいたとしたら、こんな風に考えただろうってことを書きます。
こんな前置きなしで堂々と自分の意見が語れるようになりたいもんですね!
お話は引退したサッチャーが夫も失い、若干不自由な暮らしをしている場面から始まります。
夫の幻覚を見てしまうサッチャーは過去を回想します。
とかいう話の筋はどうでもいいです。
鉄の女と言われたサッチャーも最愛の夫であったり、かわいい子どもたちをないがしろにしたことが後ろめたく思うこともあった。
1人で強く生きていけるはずなのに、大事な場面でそばに居てくれたユーモアな夫の存在は大きかった。
数々の決断を下す生活ではあったが、背景にそんなことがあったということに今気づく。
みたいな感じです。
『英国王のスピーチ』からちょうど1年。
何か観ないと気が済まない気がして観てきました。
昨年はちょうど就活直前、面接も前日という環境でその映画を見たのでどこか勇気付けられるところがありました。
今年はどうでしょう。
入社を目前に控え、初の英国女性首相の生涯を描いたこの作品を観て何を思ったのでしょうか。
忘れられないワンシーンが。
サッチャーが党首に立候補することを決意する場面。
選挙戦略を練る人物に向かい、
「私は意気地なしのこの政党をあくまで引っ掻き回すために立候補する」
のだと。
そこで返ってきた言葉は
「党を変えたいなら、自ら党を率いろ。
国を変えたいなら、自ら国を率いろ。」
小賢しいこと言ってないで正面から勝負しないと人は動かない。
その後サッチャーは周囲との軋轢恐れず「リーダーとして」の信念を貫き厳しい選択の成果を上げます。
自分としては、周りとの関係を投げ捨ててまで貫ける主張が無いのでこういうの見てると自分が悲しくなります。
「国を立て直す」という信念でトップに立ち、判断を下す以上は妥協してはならないと。
妥協しないことがいいって言ってるんではなくて、自分に人との関係で妥協しないことってないのがあーあって思うだけです。
「リーダー」としてって自覚的に言ってるのが救いな気もします。
そのポジションでやる「べき」と「されているもの」があって、それに乗ら「なければならない」ものがあるならやることも見えてきそうなもんです。
もう一つ印象的な場面。
引退後のサッチャーが主治医の身体検査を受けるときに発する。
「最近の国民を考えるにあたっては、何を考えるかではなくてどう感じるかを重視しなければならない。
考えやアイディアが面白いのに」
そこで主治医は聞き返します。
「それではサッチャーさんは何を考えておられるのか」と。
こう答えます。
「考えが言葉を生む。言葉が行動を生む。行動が習慣となり、それは人格を形成する。そして人格は運命を形作する。これは父(祖父?)の言葉です。云々…」
考えと人格を直接繋がるものって考えてしまいがちで、すごい違和感がありました。
その感性って、なんか建設的に反駁されただけで人格否定だとか言ってそうで嫌です笑
自分は気づくとよく考えず行動だけで日常が埋まってしまうタイプ。
そして行動から何かしら得られるものはあるにせよ、行動を考えることより低俗なものとみなしどこかしら蔑んでいる。
一方で、ある程度考えたらそれを形にするのは行動しかなくて、最初にしっかり考えたら手足を動かしてもがくしかない、続けるしかないという思いも持っています。
そういう考えを持っていてその「行動」の先を提示されたのはちょっと新鮮でした。
行動が習慣となって、その習慣が人格を形成する。
確かに、議論とかいっぱいしてれば別ですが、その人の人格ってどういう行動とる人かってとこから見易いかもしれませんね。
でも、行動から見え隠れする人格ってあくまでも人から見たものな気がします。
自分に確固たる信念の無さを痛感して書こうと思った今回の記事ですが、行動多めだからと言ってやっぱりそういうものが勝手に生まれてくるとかではないと思います。
経験を積みつつ、その中でも考えることだったり、ほんとにこれが好きってものと出会うことだったりまだまだ足りないなぁと思いました。
行動をたくさんとらないといけないことにはかわりはないですが、こんな風に文字にしたりしながら考えてけてたらと思います。
『マーガレット・サッチャー 鉄の女の涙』を観に行って来ました。

ネタバレとか気にしないので、それで都合の悪い方は見ないでください。
あと、けっこうこの話が事実だと思って書きます。
事実として書かれていることですら、それが事実であるかは疑わしいですよね。
書く人の主観で取捨選択された事実のようなものが、その人の伝えたい文脈で配置されています。
映画だと一層製作者の意図を色濃いんでしょう。
だから、この映画で描かれた「マーガレット・サッチャー」がいたとしたら、こんな風に考えただろうってことを書きます。
こんな前置きなしで堂々と自分の意見が語れるようになりたいもんですね!
お話は引退したサッチャーが夫も失い、若干不自由な暮らしをしている場面から始まります。
夫の幻覚を見てしまうサッチャーは過去を回想します。
とかいう話の筋はどうでもいいです。
鉄の女と言われたサッチャーも最愛の夫であったり、かわいい子どもたちをないがしろにしたことが後ろめたく思うこともあった。
1人で強く生きていけるはずなのに、大事な場面でそばに居てくれたユーモアな夫の存在は大きかった。
数々の決断を下す生活ではあったが、背景にそんなことがあったということに今気づく。
みたいな感じです。
『英国王のスピーチ』からちょうど1年。
何か観ないと気が済まない気がして観てきました。
昨年はちょうど就活直前、面接も前日という環境でその映画を見たのでどこか勇気付けられるところがありました。
今年はどうでしょう。
入社を目前に控え、初の英国女性首相の生涯を描いたこの作品を観て何を思ったのでしょうか。
忘れられないワンシーンが。
サッチャーが党首に立候補することを決意する場面。
選挙戦略を練る人物に向かい、
「私は意気地なしのこの政党をあくまで引っ掻き回すために立候補する」
のだと。
そこで返ってきた言葉は
「党を変えたいなら、自ら党を率いろ。
国を変えたいなら、自ら国を率いろ。」
小賢しいこと言ってないで正面から勝負しないと人は動かない。
その後サッチャーは周囲との軋轢恐れず「リーダーとして」の信念を貫き厳しい選択の成果を上げます。
自分としては、周りとの関係を投げ捨ててまで貫ける主張が無いのでこういうの見てると自分が悲しくなります。
「国を立て直す」という信念でトップに立ち、判断を下す以上は妥協してはならないと。
妥協しないことがいいって言ってるんではなくて、自分に人との関係で妥協しないことってないのがあーあって思うだけです。
「リーダー」としてって自覚的に言ってるのが救いな気もします。
そのポジションでやる「べき」と「されているもの」があって、それに乗ら「なければならない」ものがあるならやることも見えてきそうなもんです。
もう一つ印象的な場面。
引退後のサッチャーが主治医の身体検査を受けるときに発する。
「最近の国民を考えるにあたっては、何を考えるかではなくてどう感じるかを重視しなければならない。
考えやアイディアが面白いのに」
そこで主治医は聞き返します。
「それではサッチャーさんは何を考えておられるのか」と。
こう答えます。
「考えが言葉を生む。言葉が行動を生む。行動が習慣となり、それは人格を形成する。そして人格は運命を形作する。これは父(祖父?)の言葉です。云々…」
考えと人格を直接繋がるものって考えてしまいがちで、すごい違和感がありました。
その感性って、なんか建設的に反駁されただけで人格否定だとか言ってそうで嫌です笑
自分は気づくとよく考えず行動だけで日常が埋まってしまうタイプ。
そして行動から何かしら得られるものはあるにせよ、行動を考えることより低俗なものとみなしどこかしら蔑んでいる。
一方で、ある程度考えたらそれを形にするのは行動しかなくて、最初にしっかり考えたら手足を動かしてもがくしかない、続けるしかないという思いも持っています。
そういう考えを持っていてその「行動」の先を提示されたのはちょっと新鮮でした。
行動が習慣となって、その習慣が人格を形成する。
確かに、議論とかいっぱいしてれば別ですが、その人の人格ってどういう行動とる人かってとこから見易いかもしれませんね。
でも、行動から見え隠れする人格ってあくまでも人から見たものな気がします。
自分に確固たる信念の無さを痛感して書こうと思った今回の記事ですが、行動多めだからと言ってやっぱりそういうものが勝手に生まれてくるとかではないと思います。
経験を積みつつ、その中でも考えることだったり、ほんとにこれが好きってものと出会うことだったりまだまだ足りないなぁと思いました。
行動をたくさんとらないといけないことにはかわりはないですが、こんな風に文字にしたりしながら考えてけてたらと思います。
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